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文化

碑木の現場

幸せな心、ワクワクする人生、鮮やかなファチョン郡にようこそ。

碑木の現場

Site of Bimok photo

所在地

江原 華川郡 看東面

お問い合わせ

華川郡 文化観光課 033-440-2225

平和のダムの近くにある太古を感じる静まったこの場所は、以前若き兵士たちが砲煙と共に消えていった戦争の傷跡が残っており、華川郡ではここを修復して公園にし、歳月に流されて消えつつある当時の戦友たちや訪問者たちの出会いの場所となっている。 平和のダム前方地域の白岩山地域でハン・ミョンフィ教授の歌曲"碑木"の誕生の地や 6.25最大の激戦地であった破虜湖、華川ダム、華川発電所、至る所に散在している戦跡碑などが巡れる統一安保観光コースの名所だ。また、毎年6月6日前後に碑木の誕生と無名勇士の魂を称える碑木文化祭が開催される。

コース情報

華川邑 → 豊山里 → へサントンネル → 平和のダム → 碑木公園

アクセス

  • 乗用車 : ソウル(国道46号) → 春川(国道5号 地方道407号) → 華川 → 東村里
  • 市外バス : 東ソウル、 上 鳳洞ターミナル → 春川 → 華川
  • 市内バス : 華川 → 大利里 → タンサン 豊山里 → シンギョ隊 → チャンチャット →平和のダムi

市内バス時刻表

  • 華川発
    • 08:00
    • 13:30
    • 17:50

関連情報

国民的な歌曲“碑木”の誕生の地がまさにここだ。話は1960年代中盤にさかのぼる。平和のダムの北方14㎞のところに白岩山谷非武装地帯に配属された一将校は、雑草が生い茂った所でこけの生えた無名勇士の石墓を見つけた。さびた鉄兜、こけの生えた石墓、その横を見守っている真白な山木蓮、火薬のにおいが覆いつくしていた深い谷を赤く染める夕陽。彼は石墓の兵士が自分と同じような若者であっただろうという深い哀傷にひたる。 祖国のために散華した若い魂を称える“碑木”の歌詞はこのようにして誕生し、この歌は70年代中盤から歌曲として広く愛唱され始めた。歌詞を書いた初級将校がまさにハン・ミョンフィ教授である。 駐車場入口に“碑木”歌碑が立っており、訪問者は誰もが一度はその前に立って歌詞を振り返ってみる。現在、碑木公園には記念塔のほかに鉄条網のかかった丘の中にさびた鉄兜がかけられた木の十字架が約十個ほど立っており、朝鮮戦争という民族の悲劇の痛みを感じさせられる。 華川郡では毎年6月6日前後に華川邑にある川辺のふな島で“碑木文化祭”を開催する。追慕歌、詩朗唱などで編まれた追慕祭、碑木作り大会、おにぎり食べ大会、兵営体験、軍楽隊バレードなどが四日間の間開かれる。


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